「レンくん、案外似合うかもね?」
──終業後のオフィスで、なぜ僕は女子社員たちに囲まれ、女物の服を差し出されているんだろう。
薄暗いオフィス、鳴り止まぬ笑い声。
金曜の夜、帰るはずだった僕の足は、なぜか逃げ道を見失っていた。
◆
僕――営業部の高橋 蓮(たかはし れん)は資料を閉じたばかりだった。
時計の針は21時。ようやく片付いた書類。冷めたコーヒー。そろそろ帰宅しようと立ち上がった瞬間だった。
「レンくん、もう帰るの? ちょっと面白いことしよ」
声をかけたのは先輩の斎藤 瑠衣(さいとう るい)。どこからか女子制服一式を抱えて立っている。隣には同期の佐伯 真帆(さえき まほ)と新人の内田 茜(うちだ あかね)。経理の三人も月末の締めで残っていたらしい。
「面白い事って…何ですか?」
「この女子の制服、着てくれない?」
「いやいや、何を言ってるんですか? 冗談ですよね」
「冗談半分、本気半分。着るだけでいいからさ!」
「先週の伝票ミス、覚えてるよね? 総務、残業地獄だったんだから~」
「だから、ほら。借りを返すチャンス」
瑠衣と真帆がスカートとブラウスをひらひらさせる。茜はにこにこしながら僕のデスクの端を片付けはじめ、ついでのように僕の社員証とタイムカードを手元に引き寄せた。
「え、それ……」
「大丈夫。着たら返すから。今日の打刻、私が押してあげる。ね、真帆?」
「押すのは私じゃなくて茜ね。新人教育の一環」
「はーい。レンさんの退勤、まだ保留で~す」
小さく、出口側のフロアライトが落とされる。通用口の鍵が“カチ”と音を立てた。防犯上、施錠は普通のことだ。普通のこと、のはずなのに、帰り道が遠のく。
「それにね、これ上には話通してあるから」
瑠衣が肩をすくめて、封筒をひらりと見せる。封筒の表には「社内広報 撮影案」の文字。
「“制服ガイドのモデル協力・ジェンダー配慮の事例メモ”ね。今日、“誰かが”やってくれたら助かるな~って部長も」
「誰かが、ってレンくんだよ。先週のフォロー分、これでチャラにするって話」
「……部長、本当に言いました?」
「うん、“うちの営業はノリがいいから”って」
三人の視線が重なる。笑っているのに、逃げ道を塞ぐ角度で。社員証と出口、先週のミス、上の了承。いや、そもそもジェンダー配慮の制服の話なんて聞いた事がない。本当にそんなものが存在するのがろうか?
僕に、合理的な選択肢は残っていなかった。
【2章へつづく…】
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経理部の女子社員に囲まれ、抵抗もむなしく身にまとわされたのは、会社の事務服であるブラウス・ベスト・スカート。そして、足元をなめらかに覆うストッキング。その上、彼女たちの手で施された完璧なメイクが、鏡の中の“自分”を、もう誰なのか分からないほどに変えていた。
人の気配が消えた深夜のオフィス。煌々と灯る蛍光灯の下、4人だけの、決して明るみに出せない“秘密”が、静かに幕を開けようとしていた。