コツン、コツン、コツン。
レンくんのヒールが、オフィスの静けさに小さく響く。
肩の力が抜けて、腰の揺れも自然になってきた。
私たちが言った通り、しなやかさを意識した女性の歩き方。
……ふふ、もう“自分が女の子”だって、無意識に思い始めてる。
「そうそう、その調子。お尻の位置を高くする事も忘れないでね」
わざと軽い口調で言いながら、視線は細かく観察する。
足を出すたびにストッキングの布が太ももに沿って動くのが、離れた位置からでも見える。表情も……さっきまでの抵抗の色が、少し薄くなった。
◆
「じゃあ、発声練習してみましょうか。“お疲れ様でーす”って」
茜から、さも当然のように提案をする。
レンくんの表情が固まる。
でもここまできたら、引き返す道はない。深呼吸させて、吐息を混ぜるように指示する。
――あ、今の。
高くて、か細くて、ちょっと震えてて……でも可愛い。
耳に残る。何度も聞きたくなる声。
あとは、計画していた通りに動けば……。
◆
「よし、じゃあ……最後の課題ね」
笑顔で伝票ミスの“借り”の話を出す。レンくんは眉を寄せるけど、もう流れは止められない。
指差す先は女子トイレ。
これが今日の計画のクライマックス。最後の借りの三割を返させる名目で、彼の意識を一気に揺さぶる。そして――。
「会社にはもう私たちしかいないから、安心して」
言葉とは裏腹に、胸の奥が少し高鳴る。
彼があの扉から戻ってくる瞬間、その姿は端から見たら深夜に女子社員の恰好をして女子トイレに忍び込んだ“変態”になる。
その証拠を残せば……もう、逃げられない。返す事ができない、終わらない借りになる。
◆
レンくんが歩き出すのを見送りながら、茜はあらかじめ位置を指示しておいた場所に移動をし、スマホを構える。
扉が開き、私と真帆の姿が見え、意識がこちらに集中する。その時がシャッターチャンス。
廊下の非常灯が緑に揺れる中、私たちは待ち構える。
この間の数分が、やけに甘く感じる。
◆
「おかえり、レンくん」
扉が開いた瞬間、腕を組んで笑みを浮かべる。
カシャ。
カシャ。
茜のシャッター音が響く。
「えー! レンさんが女子トイレから出てくるなんて!」
「あらー、これが社内に出たら大変ね」
2人の挑発に続けて、私は写真を確認する。スマホの画面には、女子トイレから出てくる変態社員に成り下がったレンくんが映っている。
レンくんの顔が一瞬で強張った。
写真を撮られたことの意味を、やっと理解したみたい。
「……そ、それ……消してくれませんか……? 本当に、お願いします……」
声が震えている。必死な目。
でも私は、笑みを崩さない。
「大丈夫。この写真が出回ることはないよ」
ほんの少しだけ、安心させるように声を柔らかくする。
「――私たちの言うことをちゃんと聞いてくれれば、ね」
その言葉に、レンくんの肩がピクリと動いた。
私はゆっくりとカバンを開け、中から小さな紙袋を取り出す。
中身を見せると、蛍光灯の下で鮮やかな赤が揺れた。
「まずは最初のお願い。そんなに難しいことじゃないから」
指先で持ち上げたのは、真っ赤なブラとショーツのセット。
「月曜日の出社のとき、これをスーツの下に着てきてね」
隣で真帆がにやりと笑い、茜が目を輝かせる。
「うん、レンくんなら絶対似合うよ」
「レンさんなら可愛く着こなせるって!」
レンくんの頬が、ますます赤くなっていく。
逃げ場を探すような目をしていたけど、やがて小さく息を吐き、観念したようにうなずいた。
◆
やがて、レンくんはいつものスーツ姿に戻り、カバンを手にする。
「……さっきの写真は、絶対……絶対誰にも見せないでくださいね」
念を押す声は、かすかに掠れていた。
ドアが閉まると、オフィスに残ったのは私たち3人。
「上手くいったね」
「本当に月曜日、着てきてくれますかね?」
「大丈夫だよ。あの顔、もう断れないって」
笑い声が夜のオフィスに響く。
月曜日が楽しみ。
――まずは、言葉でたっぷりと羞恥を味わってもらおう。
【3章へつづく…】
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