「こっちのお店、見てみましょう!」
千尋に手を引かれるまま、僕はレディースのアパレルフロアへ足を踏み入れた。
フロア全体が白を基調にした明るい照明で、棚やハンガーには色とりどりのワンピース、スカート、ブラウスが整然と並んでいる。
ショーウィンドウのマネキンは、甘い色のフリルワンピースや、シックなブラウスにタイトスカートを合わせたコーディネートをまとっていた。
その光景だけで胃の奥がきゅっと縮み、呼吸が浅くなる。
「レンくん、こういうの着たら絶対似合うよね」
瑠衣が指差したのは、淡いピンク色のフリルワンピース。胸元に小さなリボンが縫い付けられ、袖は透けるシフォン素材。明らかに“女の子”のための服だ。
「いやっ……それは……」と反射的に否定しかけたが、真帆がその横で黒のタイトスカートと白ブラウスを手に取っていた。
「こっちは大人っぽくていいんじゃない? 会社帰りに着てそうな、落ち着いた感じ」
二人の視線が僕に突き刺さる。甘さと大人っぽさ――どちらも、僕の居場所とは無縁のものだ。
「せっかくだし、試着してみませんか?」
千尋がにっこり笑った。
その瞳に悪意はない。むしろ、楽しそうに僕の反応を待っている。
僕は力なく頷くしかなかった。
◆
試着室に押し込まれ、カーテンを閉じた瞬間、鼓動が耳の奥まで響いてくる。
ジャケットとシャツを脱ぎ、ブラがむき出しになった自分の姿に思わず目を逸らした。
鏡に映るのは、明らかに“男”なのに、赤いレースのブラだけが女々しく浮いている。
吐き気を覚えるような羞恥に襲われながらも、フリルワンピースを手に取る。
「あれっ?これってどうやってきるんだ?」
初めて着るワンピース。僕は着方すら分からず、頭から被ることにした。
ひんやりした布が肌に触れるたび、逃げ場のない現実を突きつけられる。
裾を下ろすと腰のラインがくっきり浮かび上がる。
鏡に映った自分は、どこから見ても女の子。
淡いピンクのワンピースに包まれ、頬には化粧品売り場で付けられたリップの名残が赤く残っている。
腰をくねらせるようなシルエットが、余計に“女”を強調していた。
視線を逸らそうとするのに、鏡は容赦なくその姿を突きつけてくる。
「どう?みんなに見せて」
カーテンの外か瑠衣の弾んだ声が聞こえる。
「……あ、あの……」
喉が詰まり、声が裏返る。肯定も否定もできず、曖昧に濁すしかない。
カーテンを少し開けると、千尋の瞳がぱっと輝いた。
「すごく可愛いです!」
その言葉は、心の奥を鋭く突き刺した。彼女は本気でそう思っている。
善意だからこそ、余計に逃げられない。
◆
「じゃあ次はこっちも!」
今度は真帆がブラウスとタイトスカートを渡してきた。
タイトスカートを腰に通しブラウスを身に纏う。メンズのシャツと違って胸元が張って見える。
「う、うぅ……」
鏡に映る自分を直視できず、曖昧に返事をすることしかできない。
それなのに千尋は嬉しそうに拍手までしてくれた。
「やっぱり、似合ってますね!レンさん、大人っぽい服もすごく合います!」
その無邪気さに胸が苦しくなる。僕の本心は「やめてくれ」なのに。
◆
「ちょっとお手洗いに行ってきますね」
千尋が立ち去った瞬間、空気が凍りついた。
瑠衣と真帆が並んで立ち、カーテンを半分開ける。
二人の笑みは柔らかいのに、視線は鋭い刃のようだ。
「レンくん、もっと嬉しそうにしなさいよ」
瑠衣の声が低く響く。
「……え?」
「そんな引きつった顔じゃ、千尋ちゃんに失礼でしょ」
真帆がスマホを掲げる。画面に映っていたのは、あの日、女子トイレから出てくる僕の姿。
「や、やめて……!」
全身が凍りつく。
「だったら言うこと聞いて。自分の事も“私”って言いなさい。口調も、ちゃんと女の子らしく」
瑠衣が一歩近づき、囁くように言う。
「この写真、拡散されたら……今後の人生、どんな目で見られるかな?」
頭の奥が真っ白になった。
同僚や友人たちの視線、両親の反応、すべてが壊れる未来が頭に浮かぶ。
逃げ場はない。僕には逆らう術が残されていなかった。
「……わ、わかりました……」
喉から絞り出す声は震え、呼吸が乱れる。羞恥と屈辱で全身が熱い。
◆
「すみません、お待たせしました!」
千尋が戻ってきた瞬間、心臓が爆発しそうになった。
逃げたいのに、命令は下されている。
「ち、千尋ちゃん……私、あっちの服屋さんも、みてみたいなぁ……!」
必死に女子口調を演じた。
舌がもつれ、顔は熱で燃えるよう。耳の奥まで真っ赤なのがわかる。
「……っ」
千尋の眉が一瞬、ぴくりと動いた。
息が止まる。だが彼女はすぐに微笑んだ。
「はいっ!行きましょう!」
その笑顔は純粋に嬉しそうだった。
きっと彼女には、僕が“やっと心を開いてくれた”ように見えたのだろう。
(違う……違うのに……!)
心の中で必死に叫ぶが、声にならない。
千尋の瞳には、もう『尊敬する先輩』ではなく、『仲のいい女子社員』としての僕が映っているのだろう。
羞恥に押し潰されそうになりながら、僕はただ千尋の後を追うしかなかった。
【9章へつづく…】
桜梅桃華@女装・TSF小説
2025-09-13 13:54:00 +0000 UTCyuu02
2025-09-13 12:06:36 +0000 UTC