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茶柱たべたべ
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愚策! カレー搦め手空回り!

 笹木咲は考える。  どうすれば同僚の社築と、もっと親密になれるのかと。  あの男のことが不覚にも気になりはじめて、既に一年以上が経つ。共にレバガチャ台パンの司会を務めたのもあり、今では彼の家に暇さえあれば行くようになっていた。  それならば、もう十分親密ではないか。そんな声が聞こえてきそうだが、ところがどっこい人間は業突く張りである。  笹木は今の関係性、つまり社の家に突撃してゲームだけやって帰るという間柄では、満足できなくなっていた。 「だって、こんなもん小学生の関係やん! ちっさなお友達かうちらは!」  笹木はベッドの上で転がりながら、うぎぎと苦悶の声を上げた。  レバガチャ台パンのおかげで、社との距離が縮んだのは認めよう。しかし、そのせいで男女間特有の甘酸っぱい空気は完全に霧散してしまった。  はじめの頃は彼女が家に来るたびに、社もドギマギとした様子を見せていた。美少女がプライベートにお邪魔してきたのだから、当然のことだと笹木は思う。  しかし、突撃回数が十を超えたあたりから、徐々に社はだらけはじめた。笹木が隣に座っても照れなくなったし、偶然を装い軽く触れてみてもケロリとしていた。  由々しき事態である。距離が縮み過ぎたのだ。今やあの男は十中八九、この咲様を姪か何かだと見なしている。  そして、そうなったら最後、ちょっとやそっとじゃ男女の関係にはもつれ込めないのである。少なくとも笹木が今まで見てきた漫画やアニメでは、妹系キャラは負けヒロインだと相場が決まっている。 「陰キャがよ〜! もっとうちを意識しろバーカ!」  枕に顔を埋めてモガモガ言ってみるが、もちろん気分は晴れない。近くではスコティッシュフォールドのぽぽが呆れたように大欠伸をしている。こうした飼い主の乱心に慣れてしまったのだ。猫畜生は割と図太い生き物である。にゃんにゃんにゃん。  笹木はベッドの上でごろりと仰向けになると、深呼吸をした。ちょっと一度冷静になろう。今まで自分がどんな努力をしてきたか、振り返る。賢者は歴史から学ぶのだ。 「眼鏡かけてみた時は視力落ちたんかと心配されたし、MTGやった時はなんやかんやで蹂躙されたし、音ゲーはやしきずんちじゃ出来んしー! もー、ことごとく失敗しとるやん! なんやあの男ォー!」  自分の惨敗記録ばかりが浮かび、笹木は頭を抱えた。愚者は経験から学ぶというが、ここまで惨憺たる結果では肥やしにもできない。むしろ思い返すほどダメージを負う黒歴史だ。手のつけられない産業廃棄物である。 「うー、他にないんか!? 一発であのオタクを落とす妙案はー!?」  頭を捻ってみるが、アイデアは出ない。ため息を吐き、充電中のスマホに手を伸ばす。ヒントを求め、藁にもすがる思いでYouTubeを開き、想い人の配信を見る。 「ったく。うちの気も知らず、呑気に配信しやがって。……んふ。んふふ」  社が疲れた目を輝かせながら、楽しそうにトークする姿を見て、自然と笑みが溢れる。ガチ恋勢なのだから仕方ないのだ。今日も元気にやってるなと、画面越しに後方彼女面をする。  楽しい時間は早く過ぎ去る。配信もどんどん進み、話題はころころ変わる。  そして、社の好きな食べ物の話になった。 「……ま、どーせカレーやろな」  彼が重度のカレージャンキーである事実は、笹木含む仲間内で有名な話だ。心ない黒緑エルフから「キレンジャーの生まれ変わりじゃん」と言われたこともある。  だから、この配信で社にまつわる新事実が発覚することはないだろう。少なくとも、自分が彼を射止めるのに有益な情報は落ちてこないように思う。  それでもダラダラと動画を見続けていた、その時。 「……あ、そうなんや。最近、カレー屋行けてないんや」  配信内での彼の言葉を、笹木は繰り返していた。  何でも、ここしばらく仕事と配信が忙しいのだという。食事も作り置きのものか、コンビニ弁当で済ませる日々が続いているそうだ。  おかげで新しく出来たカレー屋にも行けてないんだと、社の嘆き節が響いた。  これはもしや、チャンスではないか。  笹木の口元がニンマリと笑った。  急いで社のマンション周辺の食事処を調べる。その中からカレー屋をピックアップし、最近オープンした店を探す。  あった。  そこはナン食べ放題のお店らしく、レビューも上々。カレー含む全ての料理が絶品というコメントが多数を占めていた。 「ふむふむ。へー、言わなくても色んな割引をしてくれるんや。なるほど、じゃああんま店員さんと話さんくてもええんか。こりゃお得やわ」  笹木は頭の中でプランを立てる。  まず一人でこの店に突撃し、どのカレーが美味しいのか調べる。その後で社を誘って二人で行く。  何がおすすめか分からずアタフタする彼に、通っぽい情報を優しく教えてあげる。  社はチョロいオタクなので、大好きなカレー関係のサポートをしてくれた笹木に一目惚れする。  完璧な計画であった。 「んふふふ、こりゃ大勝利やんね。所詮やしきずは陰キャ非モテの恋愛敗北者やし、超絶可愛い咲様がめちゃくちゃ美味しいカレーを教えてやれば、一発でコロリやよ」  クックックと、笹木は悪どい笑みを浮かべるのであった。  それが、昨日のことである。  笹木は今、件のカレー屋の前に立っていた。  否、正確には立ち尽くしていた。 「うわ、人めっちゃおる……」  よほど評判がいいのか、店内は人でごった返していたのだ。  笹木は人見知りである。それも、初対面の人しかいない場に独りでいると、手が震えてくるタイプの人見知りである。  なので今日も、人混みを避けるために少し早めに来たのだ。にもかかわらず、この大盛況だ。どうしても気後れしてしまう。 「ちょっと、時間ずらすかぁ……」    二時ぐらいに、また来よう。そう思って笹木が踵を返そうとした、その時。 「あれ、笹木?」  ギギギ、と首を軋ませながら振り返る。  黒い髪。高い背。死んだ目。厚い唇。  社築が、立っていた。    中々に旨いインドカレー屋が近所に出来たという話は、前々から知っていた。  多忙のせいで足を運ぶ機会がなく、ズルズル先延ばしにしていたが、これでは一生ありつけないままだと思い直したのが今朝のこと。  スマートフォンの地図アプリを頼りに、店の前まで来てみると、何やら見知った顔があったので話しかけたのが二分前のこと。  そして現在、社築は笹木咲と向かい合う形で、料理が出てくるのを待っているのであった。 「しかし、まさかお前もこのカレー屋に来てるとは。もしかして、行きつけの店だったりするのか?」 「へ? あ、いや、ここに来るのは初めてやよ。や、やしきずは?」 「俺も初めてだよ。すごいな、どっちも今日が初挑戦か。偶然ってのはあるもんなんだな」 「そ、そやね。偶然偶然! あははは」  そう言って、笹木は震える手でグラスを掴むと、中の水をグビグビ飲み干した。室内に暖房が効いているからか、その白い肌には汗が浮いている。よほど喉が渇いていたのだなと、社は思う。  それにしても、面白い雰囲気の店だ。改めて、店の中を見渡す。窓にはガネーシャを模したと思わしき刺繍細工が飾ってあり、設置されたテレビではインド映画のダンスシーンがひっきりなしに流れている。インドという言葉の持つイメージに、片っ端から輪郭を与えて混ぜ合わせると、こんな内装になるのかもしれなかった。  そうこうしているうちに、店員が盆を持ってやってきた。 「お待たスしましタ。こちらマンゴーラッシーとサラダでぇス」  やや片言で喋りながら、外国人らしき彼は机に2人分の料理を置いてくれた。木で出来た分厚い皿には、オレンジ色のドレッシングが掛かったサラダが、結露の付いた銀のコップには、優しい黄色をしたマンゴーラッシーが、それぞれ入っていた。 「ありがとうございます。うわ、うんまそ〜」  思わずスタージュンも認めた某玩具関連のフレーズが口をつくが、まかり間違っても粉砕した菓子を上にまぶす気にはなれない。それほどまでに、提供されたメニューは輝いて見えた。 「じゃ、いただきます」 「い、いただきます」  まるで給食の時間のように、二人は一緒に合掌した。それから社は箸を、笹木はフォークを使って、サラダを食べ始めた。  旨いサラダだった。ドレッシングは程よく酸味があり、スパイスも効いていた。それが細かく刻まれたキャベツの束と馴染み、シャクシャクと小気味良い食感と共に、口に広がる。レタスのやや厚みのある葉も瑞々しく、赤々としたトマトと一緒に、喉を潤してくれた。  新鮮な旨味のエキスが、はっきりとした存在感を示しながら、食道から胃へと伝っていくのが分かる。口内調味という訳ではないが、まるで極上の野菜ジュースを飲んでいるかのような気分だ。  サラダを食べ終わる頃には、食べる前よりも腹が減っているように感じた。それは笹木も同じだったらしく、野菜が白い唇の向こうに消えた後、彼女のお腹から、キュルルと、子猫の甘えるような音が聞こえた。  咄嗟に両腕で腹部を抱くように隠し、笹木は頬を赤らめてこちらを見つめてきた。  その様子が面白く、一つや二つからかってやろうかと思ったが、出来なかった。  メインのカレーが到着したからだ。それを見て、言葉を失ったのだ。  カレーと一緒に届けられたナンの大きさに。  まるで人魂を平らにしたような形のナンだった。顔ほどはありそうな幅広な部分と、それが段々と細くなっていき出来上がった、尻尾のような部分。長さは五十センチはありそうに見えた。  とにかく巨大だ。  しかもこのナンおかわり自由である。 「笹木、大丈夫か? 全部食べられそうか? もしも無理そうなら、残り貰おうか?」 「小食な我が子を持つお父さんみたいなムーブかましてくんなや。ええよ別に。こう見えてうちは食いしん坊なんや。人はうちを軽自動車に大型トレーラーのエンジンが載ってると評す」 「そう形容される奴、堤城平以外にいたんだ」  無駄口もほどほどに、その巨大なナンをちぎった。生地には飴色の焼き目がつき、香ばしい匂いを漂わせる。かなりパリパリに焼けているらしく割れた生地が皿の上に落ちた。  最初はルーを付けずに食べてみようと、プレーンな状態で口に含む。  すると、舌にほのかな甘みが広がった。続いて、とろりとしたバターの香りが鼻腔を揺蕩う。サクサクした食感も楽しく、薄い生地の破片が口の中でホロホロ溶けていくのも面白い。 「これは、旨いな」 「やんね!」  笹木が嬉しそうにナンをちぎり、ハムハムと食べ進めていく。小さな口にあっという間に、良い焼け方をした生地が吸い込まれていった。随分とお気に召したようだ。 「おい笹木よ。お前、カレーにつける前に食べ終わるんじゃないか」 「へっ。うちはオタクくんと違って自制が利くからな。そんなヘマはせんやよ」 「言わせておけばこの野郎。社会人生活で培ったペース配分なめんなよ。あ、すいません。ナンのおかわり下さい」 「残業にルーズな社畜生活でペース配分が養われる訳なかったな……」  しみじみと哀れみの視線を寄越す笹木をよそに、社は追加でやってきたナンを千切り、カレーに浸した。  バターチキンカレーだ。夏の日差しを思わせる明るい色のルーが、生地にしっとりと絡むのを見届けて、口に運ぶ。辛口を頼んだため、スパイスがピリッと舌に弾けた。鶏肉やバターの旨みと渾然一体になった、魅力的な辛さである。やや甘めのナンと、よく馴染んだ。 「ほんま旨いなー。このナン、ただパリパリしてるだけやなくて、ホットケーキみたくフワフワな部分もある。カレーが沁みて、いい仕事するわあ」  そんなことを喋りながら、笹木は次から次へとルーをナンに絡め、頬張っていく。ナンの食感が膨らんだ頬っぺた越しに伝わってくるようで、今にもモチモチと聞こえてきそうだ。実に幸せそうな食事風景である。  社はといえば、二枚目のナンも半分食べ終わったところである。生地の甘みがルーの辛さを引き立たせ、唾液腺がひっきりなしに潤んでいく。  少し汗もかき始めた。しかし、苦痛ではない。むしろ代謝が活発化しているようで、爽快ですらあった。  そこに来て、彼はマンゴーラッシーを手に取った。銀色のコップはキンキンに冷えており、指で弾けば衝撃で凍りついてしまうのではないかと思うほどだ。  舌に乗せれば、トロリと溶ける。シャーベットではなく、かと言ってジュースでもない、柔らかな感触だ。トロトロと冷たく、濃厚でフルーティーな甘みが、喉を潤していく。 「くぁー、最っ高。この一杯のために生きてる感じするぜ」 「うわ、やしきずおっさんくさっ。まんま酔っ払いの台詞やん」 「しょーがねーだろおじさんなんだから」  小生意気なことを抜かす笹木は無視して、マンゴーラッシーに舌鼓を打つ。甘味に慣れてきたら、ナンを食べる。絡むカレーの上質な辛さが、ピリリと際立って旨い。  そしてスパイスに汗をかき、乾いた体に冷えたラッシー。胃袋に落ちる前に、食道で全部吸い込まれてしまうのではと思うぐらい、よく染みた。 「ほんま美味しそうに食べるオタクくんやなー」  笹木が呆れたような声を出す。しかし、その口元には優しい笑みが浮いていた。旨いカレーを食べて随分機嫌がいいと見える。 「ここのカレーが絶品なのが悪いんだよ。マジで無限に食えるって」 「うわ、馬鹿な男子高校生みたいなこと言うやん。カレーでそこまで童心に帰れますぅ?」  からかい混じりに笹木が言う。 「そりゃ帰るさ。俺は週5でスパイスを摂取しないとストレスで死ぬ男だぞ。仕事も配信もオフの日は、街に繰り出して新たなカレー店の発掘に勤しむぐらいだ」 「……ふーん」  笹木は間延びした相槌を打つ。桃色の瞳が、少しばかり虚空を見つめる。何かを考えているようだ。しかし、社は目の前のナンとカレーとラッシーの三角食べに夢中で気がつかない。  彼が三枚目を注文するのと同時に、彼女は口を開いた。 「……その発掘って、誰かと一緒に行ったりするん?」 「ん? ……たまーにチャイカと行ったりするけど、基本的には一人だな」  何でもないように答えれば、笹木は少しだけ黙った。ラッシーをストローでチャプチャプ混ぜるのを繰り返して、それから言った。 「それは、あれか? やっぱり、カレーを食べる時は誰にも邪魔されたくないから?」 「いや、別にそんなことはない。ただ、社会人になると友達と予定の合う機会があまりなくてな。それで、自然とソロプレイが増えたって感じだ」  新しいナンを千切り、カレーに浸しながら答える。  笹木はストローから指を離すと、今度は自分の両手を忙しなく揉みはじめた。何だか緊張しているようだが、社は少なくなってきたルーを悲しむので精一杯で、気づかない。 「あ、あのさ……やしきずってさ。この辺のカレー屋さん詳しいんか」 「ん? まあ、そうだな。割と沢山知ってる方だとは思うぜ」 「じゃ、じゃあ! ……今度っ、あの、その、……カレーの美味しい店、しょ、紹介してや……」  笹木の声はどんどん尻すぼみになり、途中からほとんど囁きであったが、それでも社は聞き取った。布教のチャンスだ。MTG然り、仲間を好きなものの沼に落とすのは至上の快楽である。社は悪いオタクだった。 「任せろ任せろ! ちょっと待てよ、今から店舗情報LINEで送る! 友達と一緒に行ってこい!」  あわよくば笹木の友達もカレー沼に落とそう。そんな悪巧みをしながらスマホを取り出した社に、笹木は少しだけポカンとして、慌てて言った。 「いや、そういうんやなくて!」 「え? 何が?」 「あ、えと、その、うちは友達と行きたいんやなくて……」  笹木は目をギュッと瞑り、うんうん唸って、閃いたようにパッと開いた。 「せや! その、やしきずがうちに奢れって話やよ!」 「えぇ!? お、お前図々しいな……」 「う、うっさい! ほな、うちの分はうちが出すから! だから次のオフの日にカレー奢れ!」  それは奢るとは言わないのではないか。社は内心でそう突っ込みつつも、少しだけ考えて、頷いた。 「まあ、それなら別に構わないけど。じゃあ、今度一緒に他の店挑戦してみるか?」 「するっ!!」  笹木は目をキラキラさせて、間髪入れずに言った。そのカレーに対する意気込みがどこから来るのか分からなかったが、しかし万人に愛されるのがこの料理なので、別に不自然ではない。  それに、店によっては想像を絶する辛さのカレーが、メニュー表に載っている場合もある。素人が間違って頼んで卒倒しないよう、ケアしてやるのも導き手の務めだ。  そう考えると、自分が一緒に行った方が何かと都合がいい。ガイド役がいたほうが、より確実に沼に引き摺り込めるだろうし。 「ほ、ほな予定決めよ!」  ニヤつきが抑えられないという顔で、笹木は身を乗り出した。 「やしきず、来週の土日は空いとる!?」 「あー、うん。日曜なら大丈夫だ」 「よしゃ! じゃあその日の昼にカレー食べに行こ! 絶対やからな! すっぽかしたらまた壁壊すからな!」  よほどカレーが楽しみなのか、笹木は全身から喜びのオーラをポワポワさせている。  これはもう週五カレー生活に堕ちるまで長くないだろう。社は悪い顔で笑いながら、ルーの残りにナンをつけて頬張った。時間が経ちぬるくなったカレーも、濃厚な味わいを舌に残して、するりと胃袋に消えた。  満足な昼食だった。    笹木咲はとても満足していた。  カレーが美味しかったのは勿論のこと、社築とのデートの約束まで取り付けられたからだ。  彼にそんな気がないことは分かっているが、それでもやはり物事は積み重ねである。一緒に好きなものを共有するうちに愛は芽生えると、どこかの誰かが言っていた。  だが、それにしても。  振り返る。外から店の中を見る。沢山の客が美味しそうにナンを食べている。  社が財布をポケットに入れながら、言った。 「なんかすごい安かったな、今日のカレー」 「やしきずもそう思う?」  メニューにあった料金は、先ほどのセットで千円。しかし、実際に会計で求められた金額は七百円だった。二人合わせて、六百円も安くなっている。 「なんかの割引か? でも、俺たちクーポンとか出してないよな?」 「この店、こっちが何も言わんでも勝手に割り引いてくれるんやって」  笹木はネット上のレビューを思い返し、そう言った。社は目を丸くする。   「へー、そうなのか。でも、じゃあどんな割引だったんだろ。レディースデイ……は違うよな。俺男だし」 「どっか看板に書いてあるんちゃう?」  そんなことを言いながら、店の周りに視線を巡らせる。数秒と経たず、それらしきものを発見した。黒板にチョークで書き込んだような看板だ。 「お、あった。あれやないの?」 「あ、そうかもな。どれどれ」 「「……」」  二人揃って、固まった。  看板には割引内容が書いてあった。 『毎週水曜日レディースデー 二百円引き』 『毎週木曜日メンズデー 二百円引き』 『ファミリー割り 三百円引き』 『カップル割り 三百円引き』 「あ、あははは……な、なるほどな! ファミリー割りか! 俺たちが父娘に見えたんだろうな!」 「そ、そやね! も、もう! 節穴やなー、こんな可愛いJKがこんな陰キャから産まれるわけないやん! あははは!」 「「……」」  沈黙。心臓がバクバクする。社の方を見れない。顔がとても赤くなっているのが、自分でも分かるからだ。  それでも、こっそりと。横目で盗み見るように視線を向けて。  社の頬が、苺のように紅潮しているのが分かった。 (あ、意識してくれた)    笹木の心に、ぽわんと温かいものが生まれた。  さっきよりも、確実に幸せの濃度が上がっていた。  ほぞを噛む。そうしないと、自然と顔がにやけてしまいそうだった。  そんなこちらの様子に気づくことなく、社はいっぱいいっぱいという顔で、声を上擦らせた。 「そ、そうだ! さ、笹木! この後暇か!? なんか近くの映画館ですっげー馬鹿なやつがやってるみたいなんだ! ゾンビとサメとナチスが戦うんだって! 行こうぜ!」 「お、おー! B級映画か! 最高やん! 行こ行こ! 一緒に馬鹿になろー!」 (食事した後に映画とか完全に恋人ムーブやんかぁああ!!)  心の中で全力で突っ込みながら、笹木はスキップしそうになる足を鎮め、映画館へと歩いた。  空は青く晴れている。  隣には社がいる。  笹木は耐えられず、笑った。  とても、幸せだった。    B級映画特有の安易な濡れ場の洗礼を受けたのは、それから少し後の話である。 【完】


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